Ride to enjoy life.

自分に残された時間には限りがある。キモチの悪い4miniの世界とはオサラバして、カッコいいホンモノのモーターサイクルに乗って美味しいモノを喰いに行き人生を楽しむコトに致しました。

2010年3月31日水曜日

Flexibility



何事においても、視野が狭いというのは致命的。

柔軟に物事を考えられないと、どうしても偏った思考になってしまう。

それは、とても危険なことでもある。


たとえ異なった世界の話であろうとも、良い物は良いし、悪い物はダメなわけで、

自分の嗜好や思考や志向から外れるからといって、

その物の意味すらも理解出来ていないくせに批評するのは、

己の器の小ささを晒しているようなモノである。


己の許容を超えた物を拒絶したい、と、思う気持ちは理解出来ないでもないが、

己が理解出来ないからといって、皆が理解出来ない物なのか、と言うと、

ただ己の器だけが小さかっただけ だったりする。


それは逆もしかりで、

ソレは、己に見えている狭い世界では賞賛されている物なのかもしれないが、

ただ己の周りに蔓延る者達の器が小さかっただけ だったりもするのだ。


たとえ小学校で一番だったとしても、全国大会で一番だとは限らない。

学校一なんてのは、近所のガキ大将と何ら差は無かったりするのである。


狭い村の中だけでしか物事を考えられないで居ると、

グローバルな視野で物事を考えられなくなってしまう。

それはとても危険なコトだし、とても恥ずかしいコトでもある。


広く深い世界を知った上で、敢えて己の殻に閉じ篭るのであれば、

ソレはそれ、所謂それは本当の意味での「個人の自由」なのだから、

俺には何も言う権利は無い。


でも、小さな村の小さな器の輩の住む世界しか知らないのに、

まるで全てを理解しているかのような振る舞いは、

とても滑稽だし、御世辞にもカッコイイとは言えない。


だからこそ俺は、物事を斜に構えて見て判断することが多い。

別の言い方をすれば天邪鬼なワケだwww。


「本当にソレってカッコイイのか?」

「もっと他にカッコイイものがあるんじゃないか?」


そうやってカッコ良さを追求していくのに、

SHOWというコンペティションな場ってのは、実に都合が良い。


極論になってしまうが、SHOWというコンペティションの場合、

「動かなくてもカッコ良ければ許される」からだ。


勿論、「カッコイイのにキッチリ走れる」方が、良いに決まっている。

だからビルダーは己のスキルを駆使して、

ギリギリのカッコイイ良さを追求するのである。



一方で、ツアラーを製作するとなれば話は全く異なってくるワケで、

「カッコイイ」を犠牲にしてでも、優先しなければイケナイ事も出てくる。

それは、法に準じた保安部品であったり、最低限の安全性の確保であったり。

様々な制約を踏まえて、

街乗りをするにあたってのギリギリのカッコ良さを追求するワケだ。


使用するシチュエーションに基づいて、ベストを選択する。
 
それもまた、ビルダーの腕の魅せ所なワケ。


そういった部分では、ShowであろうとStreetであろうと、何ら変わりは無い。

肝心なのは、「何がベストなのか」というコトだ。


流石の俺でも、街乗りモンキーでリアブレーキのみは怖いwww。

8インチの大径ドラムでも発売されれば考えるけど・・・www。


でもだからって、街乗りモンキーのディスク化が正解とは思えない。

必要にして十分であれば、シンプルな方が絶対にカッコイイと思うから。


カッコ良さと必要性を天秤にかけて、ギリギリのカッコイイところを選択するのが、

ストリートカスタムの腕の魅せどころだと思う。


ハンドルにタンツボ並べて何が面白いんだ???


「スピードが出るからディスクじゃないと止まらない」

なんて言う奴が居るが、

そもそもディスクじゃないと止まらないようなスピードがモンキーに必要なのか???


不細工なタンツボをぶら提げる位なら、

ドラムで止まれるスピードしか出ないようにすれば良い。


モンキーなんだからソレで十分だろ???
 
ひょっとして、モンキーでスピードが出るのがカッコイイと思ってんの???www。


「レースに出る」って言うなら、スピードの追求は必須項目だろうけど、

コンペティション以外での過剰なスピードの追求は、

単なる「己を知らない田舎モンの見栄っ張り」なだけだと、俺は思うけどねwww。


レースというコンペティションな場で数字を追求している人達は、

凄くカッコイイと思うし、

成績を追求する姿勢は、尊敬に値すると思ってる。
 
彼らの場合は、たとえどんなに奇抜で突拍子の無いコトであったとしても、
 
結果が出ている方が勝ちであり、カッコイイわけだ。
 
余りにも単純なのだが、そんなシビアな世界だからこそカッコイイ。
  

でも、街乗りで高額部品自慢しているだけの奴らは、

それがドレだけ馬力を出そうが、ドレだけスピードが出ようが、

単なる「ごっこ」であり、カッコ良さとは程遠いと思う。


コンペティションなパーツは、コンペティションな場であるからこそ光り輝くワケで、

金さえ出せば誰にでも手に入り、ポンと取り付け出来るようなモノを、

ドレだけ寄せ集めたとて、街中では全く魅力を感じないのだ。


ゴチャゴチャと高価な部品を寄せ集めているだけで、

カッコイイとは程遠い、崩れたバランスの見た目。


それを見て一番喜ぶのは、パーツメーカーとメディアなんだよwww。





俺は、たとえ街乗りであろうとも、

追求するべきは「カッコ良さ」だと思ってCustomに携わっている。


「カッコ良さ」を無視するんであれば、それはもはやCustomでは無い。

「カッコ良さ」を無視するんであれば、それはもはや荷車を作るのに等しい。

俺は、そう思うよ。


「カッコ良さ」ってのは、部品の値段でも、スピードや馬力でも、

ましてや実用性でも無い。

ドレだけ「観る者の感性に訴えかけられるか」だと思う。
















高額な部品を寄集める事が「カッコイイ事」だと考えているのだとしたら、

それは余りにも貧しい志向であり思考であり指向でもあると言えるだろう。




























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